今日から 3月。仿僧川(ぼうそうがわ)提では “つくし” が顔を出し、桃の花も開花した。まもなく暖かい地方からの “ 桜便り ” も聞かれることだろう。
 桜と言えば、昨年末のPCトラブルで、それまで撮り溜めた二年間分の桜の写真を一瞬にして失ってしまった。 “ そろそろ写真データをバックアップしておかなければいけない ” と思っていた矢先のPCトラブルだった。そんなこともあり、今年はできるだけ多くの名桜・名所を訪れたいと思っている。
20110301 拙僧は、桜の中でも 『 一本桜(関連ブログ4/8) 』 と言われる桜が好きだ。古いものでは樹齢 1000 年以上と言われる孤高の桜たちである。その多くは、人里離れた広やかな空地に一人堂々と立っている。
 遠目で見れば驚くほど立派で絢爛豪華な一本桜ではあるが、近づくにつれて得体の知れない緊張感が拙僧を襲ってくる。やがて緊張感は怖さに似た思いに変わる。『 一本桜 』 と言われる桜を前にしたときに、拙僧が必ず襲われる不思議な感覚だ。 
 作家、坂口安吾の作品に 『 桜の森の満開の下 』 という物語がある。非常に怖ろしい内容で、且つ難解なものではあるが、彼は桜の古木や花弁が持つ霊的精神性を感じていて、それを表現したかったのでは無いか?と、拙僧は勝手に解釈をしている。
  彼はその中で、桜についてこう書いている。

『 (桜の花の下へ人が寄り集まって酔っ払って・・・) これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖ろしいとは思っても、絶景などとは誰も思いませんでした。
・・・花の下に人の姿がなければ怖ろしいばかりです。』

 もしかしたら坂口安吾も、拙僧と同じような感覚に襲われた経験が有ったのかもしれない。

 なんにしろ、 『 一本桜 』 は気高い霊的精神を持った、 『 特別な木 』 であり、有り難い存在であると拙僧は思っている。