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 “松の内” が明けたので、 
 きょうから 「ブログタイトル」 の画像を新しくして見ました。 
 画像は、雲水庵の側を流れる太田川提から観た新春の富士です。 
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 きょうは “七草粥” の日。
 「春の七草を刻んで入れたお粥を食すことで、その年は万病から逃れることが出来る。」 との風習である。
 お正月料理
で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能があると言われていて、理に適った風習のようだ。
 拙僧が子供の頃に母親から聞いた話では、「昔は前夜(1/6)に七草を “まな板” に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、刻んだ七草を翌7日の朝にお粥に入れて家族で食した(大正から昭和初期の愛知県)」 ということである。その際の “囃し歌” を何度か聞かされたが、今となっては拙僧は全く覚えていない。

七草粥
【 拙僧も今朝は “七草粥” を。 】

 “七草粥” についてもう少し調べてみると・・・、
 歴史は
中国前漢の時代にまで遡るらしい。
 この頃の中国では、
正月1日に鶏、2日に狗(イヌ)、3日に羊、4日に猪、5日に牛、6日に馬、7日に人、8日に穀をそれぞれ占った(当日の晴雨で吉凶を占った)そうで、やがて唐の時代に成ってこの正月7日の “人の日” に、邪気を祓って1年の無事を祈るとして 「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」 という7種類の若菜を入れた汁物を食べて、無病息災を願う風習が生まれたのだそうである。

 やがて中国の
この風習が奈良時代になって日本へ伝わり、年のはじめに若菜を摘んで食すことで生命力をいただく 「若草摘み」 という風習や、七種類の穀物でお粥を作る 「七種粥」 という風習が生まれ、その後 「七草粥」 に変化して行ったものだという。
春の七草

 そして “七草粥” が今の日本に定着した決定的な要因としては、江戸時代に幕府が、それまで宮廷において年間様々な節句が行われていた中から、五つを幕府の公的行事祝日)として定めた 「五節句」 の中に、「人日(ひとの日)」 が入っていたからではないかと思う。
キャプチャ
【 江戸幕府が公的行事として定めた 「五節句」 】

 経緯を整理すると、
 人の日(前漢)⇒七種菜羹(唐)⇒若菜摘み・七種粥(奈良)⇒五節句に “人の日” (江戸)
 といった流れである。 


 近い将来の内に、この習慣が日本から消え去ることは無いだろう。

 そう考えると、
 母が歌ってくれた “囃し歌” ・・・、

 しっかり覚えておけばよかったなぁ・・・。 。゜(´Д`)゜。