きょうは3月31日で、年度の最終日
 きょうを限りに退職や転勤などで、職場を離れる人は多いだろう。
 拙僧も長年勤めていたので、送る側、送られる側、また退職で去る側を全て経験してきたが、それぞれの側(立場)で、 “満足感と寂しさ” が入り混じり、それぞれに複雑で感慨深いものがあった。
 拙僧の場合は勤め人だったので、拙僧が去っても組織は残り、後の人たちが更に発展させて行ってくれるとの想い(安心感)があっての退職だったが・・・、

 暖簾を掲げて半世紀、一代限りできょう店を閉じる寿司屋がある。
 拙僧の場合とは異なり、“後に託す安心感” など無い。
 きょうでお店の全てが終わってしまうのだ。
 大将の今の想いの全ては拙僧には知る由もないが、ただ拙僧と同じように、 “満足感と寂しさ” を感じていることは間違いないだろう。

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 地元の新鮮なものをリーズナブルに提供してくれる店だった。
 だから拙僧はこの店に40数年通った。
 通い始めた当時は、大将も拙僧も独身だった。
 そして今は、お互いにジイジの身。
 だから拙僧だって “満足感と寂しさ” を感じている。 

 きのうの昼、愚妻と二人でお店を訪ねた。
 食事を済ませて帰り際、車に隠してあった花束を愚妻が持ってきて大将に渡した。
 「一日早いけどゴメンナサイ。
お疲れさまでしたいろいろ無理を聞いてくれて有難うございました。 m(__)m

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 帰りの車中、
 「寂しいねぇ、“通い慣れたお店” がどんどん減っちゃうね。」 と愚妻が寂しがった。

 しかたが無い。時の流れだから。
 諸行は無常なのだから・・・。


 きょうは改めてそれを実感させられる日、
 3月31日である。