538年・・・百済の仏にご参拝 (538)・・・仏教伝来
 593年・・・国民(593)が、こぞって歓迎 “太子の摂政”・・・聖徳太子が摂政に
 607年・・・群れな(607)して隋(ずい)の国へ・・・小野妹子らの遣隋使派遣

 などと、みんな小・中生の頃には歴史の年号を “語呂” に合わせて覚えたものだったが・・・、
 それでは、「蒸し米を炊いて祝おう」 と言えば?
 answer:え~と、“むしごめ” が “6・4・5” だから645年。と言うことは、大化の改新!!!

 正解!そのとおり「大化の改新」です。
 西暦 645年のきょう(6月12日)、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇)や中臣鎌足(なかとみのかまたり:後の藤原鎌足)らが蘇我入鹿(そがのいるか)暗殺した。
 拙僧が小学生の頃には、この暗殺事件をもって “大化の改新” と教わった(拙僧の誤識かも?)。
 しかしこの暗殺事件は、正式には “乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)” という名称がつけられていて、この “乙巳の変” の後に行われた一連の政治改革(改新の詔:646年など)を、 「大化の改新」 というのが正しい(一般的?)らしい。
 もちろん、 “乙巳の変” を 「大化の改新」 に含んで良いとする学者も少なくないとか。
 そんなことで、きょう6月12日は、「 “ 乙巳の変 (蘇我入鹿が暗殺された)” のあった日」 という表現に止め置くことに。

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【 談山神社 】

 で、余談だが・・・、
 以前、談山神社(たんざんじんじゃ:奈良県桜井市)を訪れた。
 そのときの拝観の “しおり” に、「大化の改新の舞台」 という表記があった。
 また、神社の HP には、
 『 西暦645年の5月、二人(中大兄皇子・中臣鎌足)は多武峰[とうのみね]の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山(かたらいやま)」、「談所ヶ森(だんじょのもり)」と呼び、談山(たんざん・だんざん)神社の社号の起こりとなりました。(昭和59年以降は、“たんざん” に統一)』
 と記されている。[()内は拙僧が追記]。

 今では、春は桜、秋は紅葉の名所と成っている談山神社。 
 境内の花木や仏教建築の鮮やかさに、 
 訪れた人たちは揃って感嘆の声をあげる。 


 今となっては1372年前の、 
 二人の思いを知る由もなく。