きょうは8月21日で、拙僧が住む静岡県の誕生日(静岡県民の日)である。
 1876年(明治9年)の8月21日に、旧静岡県と旧浜松県が合併して現在の静岡県が誕生した。
 実に141年も昔のことだ。

 拙僧は “生まれも育ちも” 静岡県だが、今の静岡県が誕生した経緯の詳細を良くは知らなかった。
 そこで静岡県のHPを見てみると、

 明治4年7月の廃藩置県の時点で、現在の静岡県には韮山県(伊豆)、静岡県(駿河、遠江)、堀江県(浜名湖北部)の3県が在ったとのこと。
 “へえ~、ニラヤマ県?・・・、ホリエ県?・・・、知らなかったなぁ~。
 そして同年の11月に韮山県は足柄県の一部となり、静岡県の遠州が新たに浜松県となったとのこと。
 ちなみに、当時の県区域を地図で示せば下図のとおりだ。

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【 静岡県のHPより 】

 そしてそれから5年後の明治9年4月、足柄県の廃止に伴い足柄県域が静岡県と合併したのに続き同年の8月21日、浜松県と静岡県が合併して現在の静岡県が生まれたとのことである。

 これら静岡県誕生の経緯を調べる中で、“実に興味深い地図” を見つけた。
 明治22年の “県内郡域区分図(下図)” である。

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【 静岡県のHPより 】

 如何だろうか?
 静岡県民にとっては、“実に興味深い地図” ではないだろうか?
 ご自分の住む所が、当時このような区分と名称だったことをご存知の方は少ないのでは?
 以上、何かの時の “話題” にでもして下され。 m(__)m

 ところで 「平成の大合併」 では、それまで全国に在った3232市町村(1999/3/31)が、約半数の1718市町村(2015/4/5)に減った(合併した)。
 行政コストなどを考えれば、市町村としては “避けられない選択” だったと思うが・・・、
 では、県の数や県職員の数は応分に減ったか?
 今の静岡県が誕生した10年後の1886年当時、国内には41の県が在った(3府41県1庁)。
 そして現在は、皆さんご存じのとおり43の県が(1都1道2府43県)。

 どうして県レベルの合併って100年以上も進まないんだろう? 
 そろそろ良いんじゃない? 富士山を中心にして、 

 静岡県と山梨県と神奈川県の合併って。