京都

 拙僧、周りからは “酔いどれ雲水” とも、“平成のスーダラ雲水” とも言われている極めていいかげんな修行僧?でござる。
  「何を修行しているの?」って?  ん~ん ・・・、  えぇ~と・・・、  まぁ~・・・、  いろいろでござる。
 とにかくあんな話、こんな話、いろんな話を記してみようと思ってござる。

                    _/_/_/_/_/ 2010/3/25 【雲水】 _/_/_/_/_/

決めた!今月、   ・・・ NHK新春スペシャル ・・・

 NHKのプロフェショナル仕事の流儀 「 新春スペシャル 樂家15代・樂吉左衛門 」 という番組を観た。
 15代樂吉左衛門は、言わずと知れた “ 楽焼き ” を代表する “樂家 ” の当代で、世界が認める日本を代表する芸術家(作陶家)である。
 番組は、彼の仕事(作陶)の様子やこだわりに触れながら、その背景で400年15代に及ぶ樂家の歴史を詳細に伝えていた。
20130104-2
【 15代 樂吉左衛門の作品 】

 拙僧が始めて彼の作品を観たのは、彼が還暦を迎えた平成22年に “ 樂美術館 ” で開催された、 「 樂吉左衛門還暦記念展 」 だった(関連記事にリンクを貼っておきました
 
“ 楽焼には ” と言うよりも、“ 陶芸には ” 全くの素人である拙僧でさえ、彼は、彼にしか表現出来ない世界を持った陶芸家であり、「 特別な人 」 であることが理解でき、その後、京都を訪れた際に時間が取れると樂美術館に足を運ぶように成った。
20130104-1(20100930P)
【 樂美術館(上京区油小路通一条下ル)2010/09/30撮影】

 番組を観終え、また “ 樂美術館 ” に行きたく成ってきた。
 樂美術館のHPを覗いて見ると、1月6日から3月3日まで 「 新春展 樂歴代春節会 」 という展覧会が予定されている。
 正月から立春までのそれぞれの節会を題材にした、長次郎から当代までの作品が展示されるという。
20130104-3
【 樂家の初代と言われる、長次郎の作品 】

 うそ~? がんこ豪華じゃん!
 決めた!今月、京都行って来るわっ!

あの味をもう一度   ・・・ 骨抜きハモ(鱧)の刺身 ・・・

 昨日のブログに書いたとおり、“消えてしまった” 大量の PC データの復元に成功したことからその整理に忙しい。
 復元データを現在のフォルダー区分ごとに振り分けるのだが、
昔のデータを見ていると懐かしく、ついつい見入ってしまい作業が進まなく成ってしまう。
20120211-1
【 骨抜きハモの刺身 】

 そんな作業の中で見つけた、
数枚の画像データの話しである。
 上の画像は、2003年に撮った 『 骨抜きハモ(鱧)の刺身 』 の画像だ。
 当時、公営の宿泊施設の支配人の職にあった拙僧は、“ 新しい夏の料理 ” としてハモ料理に着目した。

 ハモと言えば関西では高級食材として扱われており、特に京都では昔から人気の高い魚である。
 当地(遠州灘)でもハモは沢山獲れるのだが、骨の多さが災いしてか
ハモを食す習慣が無かった。
 拙僧は諸々の理由から(長くなるので割愛)、このハモを使った料理を拙僧の施設のメニューに加えることにした。
 京都で見られるような “ ハモおとし ” 、“ 蒲焼 ” 、“ 煮こごり ” といった定番料理に加え、何か、新しく、インパクトのあるハモ料理を探していた。
 そして閃(ひらめ)いたのが 『 ハモ(鱧)の刺身 』 だった。

 ハモには多量の骨(一説には3千本余とも言われている)があることから、一般的にはお刺身で食すことが無い。
 しかし拙僧は、生のハモの身を摘み取って食したことがあり、その美味さは確認済みであった。
 『 どうにかしてハモを刺身にできないか?』 そんなことばかり考えていたある日、ついに “ ハモの骨抜き ” という技法が京都に残っていることを突き止めたのだ。

 技法を記した文献を、京都高台寺にある料亭のご主人にお願いして送ってもらい、板前さんたちに特訓を命じたのである。
 そしてついに完成したのが、 “ 骨抜きハモの刺身 ” をメインにした 『 ハモのフルコース 』 だった。
20120211-3
【  “ 骨抜きハモの刺身 ” をメインにした 『 ハモのフルコース 』 】

 当初は、『 そんなものは無理だ(当らない) 』 と言った友人も何人かあったが・・・、
 施設の看板メニューとなり、沢山のお客さんが施設に足を運んでくれて儲けさせていただきました。 m(__)m 
 県の水産部長が、 “ 未利用資源の開拓例(当地では捨てられていた魚である) ” であるとして賞賛してくれました。 
 需要を満たすために浜松市場に活きハモの県外入荷ルートができました。
 県内のTV番組でも何度かとりあげられました。
 翌年から観山寺温泉の旅館組合が、『 ハモ料理 』 の提供を始めました。
 今では市内の料理屋さんでも生ハモが食せるように成りました。

 しかし、拙僧が支配人を勤めた施設は、残念ながらもう無い
 拙僧が支配人を退いて数年後に、磐田市との合併があり、合併後間もなく 『 民営圧迫 』 等を理由に閉館して(させられて?)しまった
 当地の “骨抜きハモの刺身” は施設と共に消えてしまったが、嬉しいことにその後の京都では提供するお店が年々増えてきている。

DSC00538


 そうだ、京都行こう! 
 もう少し暖かくなったら・・・、 
 懐かしい “あの味” をもう一度・・・。 

 PCデータの復元は、 
 拙僧の “思い出の復元” でもあった。 

健全で無害?なブログに   ・・・  プロテクト(`ε´)ムカー   ・・・

20101015-2 秋も深まり紅葉の季節を迎えた。ネットで調べると東北地方の高地は今が見頃のようである。昨年は白骨温泉まで足を延ばしたのだが、残念ながら雨に見舞われて散々な紅葉見物に終わってしまった。今年は奥飛騨・穂高方面を狙っているが、果たして天候はどうだろう?人ごみを覚悟さえすれば、天気の良い日に “突然の京都” もアリだ。まぁ、これからゆっくり考えよう。
 
 ところで拙僧のこのブログだが、某事業所のイントラネットで昨日の午前中にプロテクトが掛けられ、閲覧できなく成ったそうである。某事業所の人たちが、ときどきこのブログを閲覧してくれていたのは知っていたのだが・・・。
 このブログの何がいけないんだろう???社会・団体・人、何に対しても批判的な記事なんて殆んど無いのに・・・。
 プロテクトを、掛けようが掛けまいがその事業所の管理者の勝手だからどうでも良いが、こんなに健全?で無害?なブログにプロテクトを掛けるなんて、拙僧としては実に気分が悪い!!!(`ε´)ムカー

彼岸花   ・・・ かくして今年も秋が深まって行く ・・・

 最近になって “彼岸花” を良く目にする。特に厳しかった夏の暑さの影響か、当地では開花が例年より遅れたようだ(気温が下がらないと開花しないらしい)。
 日本は四季がハッキリしていることから目にする動植物も季節と共に大きく変化し、それらの変化で季節を実感することが多い。
20101006-2 先日、京都の大原を訪れた際(関連ブログ9/29)に、いたるところで彼岸花を目にした。 “もう彼岸花が咲いてるね・・・” と愚妻が拙僧に話しかけ、また一つ季節の移ろいを見つけた 思いがした(まだ汗を掻くほど暑かったのに・・・)。
 
 最近、拙僧の畑の際の彼岸花も開花した。毎日畑へ行くわけではないのでいつ開花したのかは分らないが、ここ1週間以内の事である。毎年目を楽しませてくれる太田川提の彼岸花も隆盛だ。
 彼岸花が咲き、あちこちの田で稲刈りが行われ、店頭には青い路地ミカンが並ぶ。キンモクセイが香り立ち、柿の実が色づく。やがて祭りの “ぞめき” が町を包み、刹那的に去っていく。かくして今年も秋が深まって行く。

拙僧、上洛してござる Part Ⅱ

20100929-3 目覚めてホテルの部屋の窓から外を見ると快晴だった。唯一決まっている今日の予定は、東山にある “信三郎帆布” での買い物だ。孫の茜ちゃんが来月の4日で満一歳になるが、初めての誕生日プレゼントには、 “信三郎帆布のリュック” をプレゼントしようと愚妻と二人で決めていた。6月にお店を訪れた際に、幼児用の可愛いリュックがいくつか展示されているのを見て、それ以来、 “茜ちゃんの誕生日プレゼントは信三20100929-4郎帆布のリュック” と決めていたものだ。
 お店はAM9:00開店だ。ホテルからお店までは地下鉄を使えば30分ほどで行けるので、AM8:30にホテルを出た。東西線東山駅で降り、東大路を南に5~6分歩くとお店がある。お店に着くと、開店して5分程度しか経っていないと言うのに、すでにもう20人くらいのお客さんで混雑していた。
 拙僧夫婦は、すぐに幼児用リュックの所に行き品定めをしたが、 “これが良いね!” と、珍しくすぐに意見が一致して品が決まった。すると愚妻が今度は、トートバックの品定めを始めた。・・・やっぱり買った。・・・やっぱり荷物は拙僧が持たされて、ホテルに戻った。

20100929-1 午後は白川辺りを散策しようと言っていたが、急遽、拙僧の提案で “大原” へ行くことに成った。寂光院・三千院は何度か訪れてはいるが、やっぱり拝観してしまう。 “ ♪ キョート~♪ オオハラ三千院 ~♪ ” が擦り込まれているようだ。実光院・勝林院は外から手を合わせ、宝泉院を拝観した。山門正面の巨大な五葉松、血天井、鋭ささえ感じさせるほど計算しつくされた “額縁庭園” 、水琴窟など、見所の多いお寺である。特に “額縁庭園” と言われている “盤桓園(ばんかんえん) ” は、その名のとおり “立ち去りがたい名園” である。お抹茶と和菓子を戴きながら、しばしのあいだ名園を楽しんだ。

20100929-2 夕食は木屋町の “懐石 櫻” さんに、PM5:00で予約を入れてあった。若干遅れてお店に入り “川床” で料理を戴いた。昨夜の貴船ほどではないが少し冷える。
 3ヶ月振りの櫻さんの味は、拙僧夫婦の口には、どこの料理の味よりも合っている事をあらためて教えてくれた。

*正式には貴船では“川床(かわどこ)”と呼び、鴨川では“納涼床(のうりょうゆか)”と呼ぶ。

拙僧、上洛してござる Part Ⅰ

 雨の音で目が覚めた。土砂降りの雨だ。“雨かぁ、上洛の日なのに・・・”。

 予定の新幹線は、浜松駅をAM9:57発だ。拙宅をAM9:00に出れば充分に間に合う。“それまでに雨が収まってくれればいいが・・・”。

PCの電源を入れ、ネットで国交省のリアルタイムレーダーで雨雲の様子を見た。京都には雨雲はない。一方、拙宅付近は80mm/hクラスの雨雲が西から東に高速で移動している。“この分なら家を出る頃には雨が止むだろう”まずはひと安心だ。

朝食を済ませ、身支度を確認して拙宅を出た。磐田駅近くの義弟の家に車を置き、駅に着いたときにはもう雨は止んでいた。

20100928予定通りの新幹線でAM11:38に京都駅に着いた。京都の空は、雲は多いが時折陽が差し雨の心配はなさそうだ。四条烏丸のホテルまで歩くことにした。駅を出て北に向かって歩き出すと、東本願寺辺りで汗が滲んできた。“秋”とは言え、日中の陽射しの下ではまだまだ暑い。

PM0:0010分程過ぎてホテルにチェックイン。フロントで、貴船の川床料理“左源太”に予約を入れて貰い、今夜の食事場所が決まった。

“昼食はホテルの外に出て探そう”と言う事になり、昼食どきの混雑を避け、PM1:00を過ぎてホテルを歩いて出た。四条烏丸の交差点を東にブラブラと歩き、新京極の商店街に入る。往来する観光客は欧米系外国人が多い。最近では日本のどこに旅しても、大声で“キャンキャン・ワイワイ”と周囲かまわぬ某国系観光団のマナーの悪さに閉口させられるが、少なくとも今日の新京極ではそのような場面には遭遇しなかった。昼食は“三満寿”という和食店で“うな丼にゅう麺セッ20100928-1ト”を食したが、一般に“食堂”と言われるこの種のお店にしては、塩を上手に効かしてダシを強調している。お店には失礼だが、期待した以上の味で満足した。遅い昼食を済ませたあと新京極から寺町通りを回ってホテルに戻り、お風呂に入って夕食に備えた。

PM5:15“左源太”のワゴン車がホテルに迎えに来てくれ、一路“貴船”へ向かう。30分ほど走ると道が細くなり、薄暗い“山間道”の景色となる。さらに奥へ進み貴船神社辺りまで来ると周りの風情が一気に変わった。鴨川沿いに川床店の提灯が続く。鴨川と言っても、この辺りの上流まで来ると流域幅は10mと無い。その川面上に造られた桟敷の提灯が、ずっと先の道まで連なって続く。車はホテルから45分ほどで左源太に着き、早速、桟敷席に案内された。

昼間は汗をかくほどの暑さだったが、さすがこの時期になると夜は肌寒い。ましてや山間の川面上である。愚妻はお店の半纏(はんてん)を借りて羽織った。


20100928-2 前菜と注文した熱燗が運ばれてきて食事が始まった。
コースでお願いしてあったので、こちらの食に合わせてだんだんと料理が運ばれてくる。熱燗はすぐに空になり、芋焼酎をボトルで頼んだ。さすがお酒に強い愚妻も焼酎は飲めないのでビールに切り替えた。周囲の暗い空間に、拙僧たち桟敷席の提灯がともる。川の流れが拙僧たちの会話を掻き消してくれて周囲に気遣いの必要が無い。提灯が時折風に揺れ、幽玄さを醸し出す。食事をする環境としては実に贅沢極まりない。貴船の川床が人気を誇る理由の一端が伺えた。

肝心の料理だが、“特にダシと素材の味、そして香りを大切にする京都の料理”という印象で、愚妻も拙僧も満足できた。板前さんがお造りに添えてくれた、キュウリでこしらえた“雨ガエル”の細工が、より一層“京都らしさ”を感じさせてくれた。

一番の目的は?   ・・・ 京都旅行 ・・・

20100922 JR東海ツアーズからメール便が届いた。愚妻がネットで購入した京都旅行のクーポン券である。本来なら京都旅行は9月初旬の予定であったが、その時期の京都が例年と比べて異常に暑すぎた(9/6ブログ参照)為に延期をしていた。毎日ネットで京都と当地(磐田市)の最高気温を調べていたが、最近になって気温差が殆んどなく成った事から、急遽ネットで “50+(ごじゅうプラス)” の企画クーポンを購入したものである。

 この “50+” の企画クーポンだが、ビックリするほど安い。2泊3日の宿泊代と浜松駅からの往復新幹線(座席指定)代で、16,200円/一人である。ほぼ運賃だけの金額で2
泊分のホテル代がそっくり浮く勘定になる。ホテルも全日空HやロイヤルH&スパ、からすま京都Hなど、決してグレードの低いホテルではない。拙僧夫婦が京都旅行をする際は、いつもこの企画を利用している。
 さて今回の京都旅行の旅程だが、今日現在殆んど決めてはいない。ただ夕方から夜にかけては、天気さえ良ければ貴船の川床(かわどこ)と、鴨川の納涼床(のうりょうゆか)は楽しんで来たいと思っている。台風のあとだから天気は良いと思うが・・・)
 上洛までは数日あるので、旅程については明日以降にゆっくりと考えることにする。

 本当のところ、今回の京都旅行は東山の “一澤信三郎帆布” で、
茜ちゃん(満一歳)のバースデープレゼント(9/16ブログ参照)に予定している、 “リュック” を購入することが一番の目的なのである。

はやく涼しゅうなっておくれやすぅ~  ・・・ 京都 ・・・

京都京都-2 以前からの予定ではこの時期、京都に遊びに行く予定だった。昨年のこの時期(9月6・7・8日)は京都を訪れ、鴨川の “納涼床” などを楽しんで来たのだが、今年はいまだ行きあぐねている。
 その理由だが、今年の“京都が暑すぎる!!!”
 9月に入ってからの京都市の最高気温を昨年の同日と比べると、1日37.3℃(+7.4℃)、2日34.4℃(+2.7℃)、3日36.4℃(+6.2℃)、4日38.1℃(+4.9℃)、5日37.7℃(+4.4℃)、6日36.2℃(+2.5℃といった具合である。とにかく今年の京都は、例年と比べて今が異常に暑すぎるのだ。

京都-3 当地、磐田市の9月に入ってからの最高気温は、ほぼ32℃前後で推移しているが、それでさえ最近の拙僧は 、夏の疲れが一気に来たのか “夏バテ” で難儀している。それを当地より更に4℃~5℃も気温の高い京都へは、“とても行かれしまへん~!”という訳である。
 今年6月(345日)に京都を訪れた際、馴染みのお店には “次は9月にお世話になります” と言ってきた手前、出来る限り今月中に “上洛を果たしたい” のだが・・・。
 “はやく涼しゅうなっておくれやすぅ~”

のんびりボチボチ  ・・・ 100回目 ・・・

 今日から9月。依然残暑は厳しいが、朝夕はずいぶん凌ぎやすくなり、秋がすぐそこまで来ている気配がする。秋は“旅修行”には絶好の季節だ。京都、奥飛騨、能登、東北、etc・・・
と、 旅は“いつ、どこに行こうか?”と考える時から既に楽しいものである。明日は旅の情報誌を買いに行こう
DSC02382 ところで本ブログは、今日のこの記事をアップすると100回目の更新となる。今年の3月25日がスタートアップだったので、161日間を要したことに成る。当初は別の某ブログサービスを利用して立ち上げたのだが、割り当て容量が少ないうえに、ブログパーツや機能も少なかった為、7月20日に、こちらのlivedoor ブログに引越しをして来た次第である。
 実を言うと、livedoor ブログは割り当て容量が2.1GB(某ブログサービスの210倍)と大きく、いろいろな機能が充実していてカスタマイズも幅広く出来ることから、非常にカタツムリ 100回目楽しくブログ作成が出来る。こちらのブログに引っ越したお陰でブログが楽しくなり、100回目まで続けられたと思っている。
 この先、何回まで続けられるか分からないが、“のんびりボチボチ”と更新を重ねて行きたいと思う。

 いつもご覧戴いているみなさん有難うございます。つたないブログではありますが、飽きずにこれからも遊びに来て下さうんすい・抜きいね。                
【雲水】
プロフィールでござる

雲水

閲覧(アクセス)数でござる
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

☆ いつも有難うございます ☆
・・・・・ SINCE 2010/3/25 ・・・・・

記事(単語)検索でござる
月別表示でござる
カテゴリ別表示でござる